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2/8モーニングセミナーの様子
 こんにちは女性 まだまだ雪雪のちらつく日が多い2月ですね汗
寒く冬のような感覚ですが、すでに春が近づいているのが花粉で分かりますきゅー
またまた、花粉の時期がやってきましたねチューリップ
花粉症の方は今年も色々対策を練って乗り越えましょう音符

 それでは、先週のモーニングセミナーの様子です 下 下 下
   
2月8日  M・S

★ 姫野武俊会長挨拶

皆さんの前でこうして挨拶するのは3週間ぶりだ。この時期は営業で出張商談が多い。
しかし出張先でもブログを見ることができM・Sの内容は把握できており、あたかも出席
していたような気持ちだ。私が不在のほうがうまくいくのではないかとふと思った。

 営業マン・バイヤーは以前はほぼ男性だったが、最近は4割ぐらいが女性になった。
また外国人が増えた。女性の活躍する場が間違いなく増えてきたと実感する。

 県の役員会では当会の女性の参加と活躍が話題になっている。本日は2人の女性に
会員スピーチをお願いした。楽しみだ。


★ 会員スピーチ    奥 結香         竹田市社会福祉協議会



竹田市地域おこし協力隊として昨年10月にやってきた。竹田では60代・70代でも若い人
になるようだが、若者の夢を話したい。介護福祉士の専門学校を卒業し重い障害のある
人たちの施設で働いていた。そこには15歳から80歳の自分では歩けない人達が入所し
ていた。そんな人達を目の前にして生きる価値を決めつけていた差別心のある自分を
恥じた。しかし次第に何気ないことにも喜びを共感できるようになってきた。そこで働く
介護福祉士は余裕がないほど忙しく、入所者の気持ちを理解してあげる余裕もない。
学校で学ぶことと現場に大きな隔たりと疑問を感じ学校現場を見たくなってきた。 

 通信系の大学で学びながらバイクで日本一周をしたりしていたが大卒資格と教員免許
を取得した。独り立ちしようと仙台に行った。震災の7ケ月前だった。家賃の安いアパート
を探したが、もう一方のアパートに決めていたら完全に津波にのみ込まれていたところ
だった。そこでは発達障害のある子供の施設で働いていたが、そのとき教員採用の通知
をもらい、大分に戻り新生支援学校に勤めることになった。

小学生の子供達は動き回って全く座らない。しかしそれは彼らの責任ではなくこちらの
接し方次第で座ることもできるし勉強もできることがわかってきた。世間からは見放され
ている人たちが関わり方次第で能力を発揮できるはずなのに埋もれてしまっていると思
うようになってきた。

いろんな福祉の現場を学び何が正しいのか見極めたく2年半ほどで学校を退職し、青年
海外協力隊でマレーシアの障害者支援の活動をした。ジャイカからは大きな期待を寄せ
られたが田舎での活動は困難だった。地域に目を向ける機会をいただいたことで学んだ
のは、これまでは個人を伸ばす考えだったが、個人がいくら伸びても受け入れる社会が
成り立っていなかったら差別がなくならないことに気付き、地域を伸ばす方向に目が向
いてきた。そして学び続けるより実践をしていこうと思うようになった。帰国し田舎暮らし
を求めて探したが竹田市の職員が一番フレンドリーで暖かく迎えてくれたので魅力を感じた。

 竹田に来て4ケ月になるが、初日に職場で先輩から当会のことを聞き興味を持った。
障害のある人たちが差別を受けない地域をつくりたい。赤ちゃんからお年寄りまでが一緒
に話せる場をつくりたい。福祉と日常を分けない社会、高齢になっても施設に入らず地域
で生活できる社会を目指したい。

栞11条には【物はこれを生かす人に集まる】とあるが、自分自身が魅力的な人間になる
よう磨いていこうと思う。


★ 会員スピーチ    衛藤なつ美     えとう印刷



H5年 8月生 6歳まで市内山手に住み小学校入学時に現在の宮城に引っ越した。小学
校の同級生は4人だった。全校生徒は24人。友達は一人もいなく不安な日々だった。4年
生の時に下の妹が、そして6年生の時にその下の妹が入学してきた。1年間は3姉妹での
登下校だった。6年生の時に父親が勝手に応募したOBSの企画の1週間かけて100km
歩くという番組に出た。この時にいろんな地域の友達ができたことと、6年生として後輩の
面倒をみながら歩き通したことがこれまでの登下校のお陰だと思った。

 スポーツが好きで中学の部活ではソフトテニスを選んだ。その時の仲間はいまでも仲の
良い友達だ。高校でもテニスを続けたが、サッカー観戦が好きになりよく観戦した。その
うちに好きな選手ができて応援したが、その選手の頑張りが私のテニスの支えになった。

 高校卒業前に進路を考えるとき、ある日の観戦で倒れた選手にトレーナーが駆け寄る
姿が目に焼きついた。このときトレーナーになろうという夢ができた。親には相談もせず
にスポーツトレーナー専門学校に入学した。ある日のサッカートレーナー講師の講義で
女性がトレーナーを目指すのは無理だと言われた。何故かと質問すると、男性の環境
には合わないし実際にはいないと言う。諦めきれずにいたとき、ソフトバンクホークスでの
実習で2軍選手のケアを依頼され、選手の体の大きさと自分の力では支えられない現実
を実感した。トレーナーが無理なら栄養士の面で支えられないかと考えたがプロの世界
では困難な状況が窺え夢が消えていった。

 そんな時父親から電話があり帰ってこいと言う。それまで自分の夢ばかり追って気まま
に生きてきたが、結果的には得るものがなく親に申し訳なく思い、帰って家業を手伝おう
という気持ちになった。4年前に竹田に戻り印刷業をしている。

 すべてが初めての仕事は厳しかった。友達のアパレルの仕事がうらやましかったし、
キラキラした日々を過ごしたいと思ったこともあった。母に泣きつくと、家族の生活のため
の仕事を続けてきたのだと諭され、長女として家業を継ぐ決断をした。恩返しはサッカー
選手に対してではなく両親に対してだと思うことができた。

 今では商工会議所青年部の一員として、昨年は青年部50周年事業の役員をやり、印刷
物は全て任せていただいた。こんな田舎でも自分のやっていることに誇りをもち、もっと
アピールすることができるのではないかと思っている。

 友達からは付き合いがわるくなったと言われることもあるが、経営者の一員として周り
の経営者の皆さんが向き合ってくれることに生きがいを感じている。
私は私らしく前に進みたい。

モーニングセミナー終了後は300円にて軽食(サンドイッチ&コーヒー)も召し上がれます音符



| 竹田市倫理法人会::モーニングセミナー | 12:58 PM | comments (0) | trackback (0) |










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